YOSHIKATSU

Design, Foraging, Printing:

STUDY

吉勝だんご木

採集、制作、市に出る

背景.

だんご木とは

小正月(1月15日)には、団子さし、団子木飾り、だんごさげ、餅花などと親しまれている「だんご木」を飾ります。ヤナギ・ヌルデ・エノキ・ミズキなどの木の枝に小さく丸めた紅白餅や吉祥の平飾りなどをつけて、華やかに仕立てます。
家内安全、五穀豊穣、無病息災。子どもも大人も集って、みなの幸せを願うことを楽しむ行事として親しまれています。
吉勝のだんご木には、ミズキを選びました。芽は上向き、枝はぐんぐん伸び、なにかを掬うよう両腕のように伸びる姿には強い生命力を感じます。
そして、木の葉舞う頃ふしぎとミズキの枝は赤くなり、雪が降るとその美しい紅色が目立ちます。

 

だんご木についての考察

山形の小正月は「だんご木」を飾る。ミズキという冬に油がのり、赤くなる樹の枝を採ってきて、その枝のあちらこちらに餅花と呼ばれる紅白、もしくは色とりどりの小さい球形の餅や最中(モナカ)を付けていく。地域によっては、鯛、米俵、恵比寿、大黒、小判、宝船などの縁起の良い紙札やふなせんべい(最中のようなもの)を飾りつける。古風なものだと、正月についた餅を指先ほどにちぎり付けたものがある。全国に散見する同じような行事を見ると、樹種はミズキ(九州ではモチキ)以外に、柳、山桑、ヌルデ、榎などのも使われるようだ。門松もだんご木の一種だろう。

冬のミズキは赤く雪の中で見つけやすい。ミズキに白い餅を飾りつけると紅白となり、なんとも縁起が良い。国文学者の折口信夫によれば、ミズキは丹生木(ニュウギ)であり、禊(ミソギ)を授ける木の意味であったという。丹生というのは辰砂のことを指し、ミズキの樹皮ように赤い顔料である。

飾りつけるもの、これは餅花という名前のごとく花の見立てであると思う。あたりまえだが厳冬のなかで植物の花は咲くわけがない。だか、それを人の手で咲かせ、飾ることは、春の力を象徴化している。新しい年をむかえ、春の象徴を飾り「こんなに花がついているならきっと豊作だ」と、その年の春や秋の豊作を占うのだ。

春の花見は、もともと山に生えている春に咲く花を眺め、その咲き具合で一年を占うものだった。現在のような形態になったのは、桜の品種改良が進んだ江戸時代以降である。

山形県鶴岡市の手向地区に「坂迎え(サカムカエ)」という行事があり、一度、参加させてもらったことがある。

サカムカエとは、「サカ」は先っぽ、その先、彼方を意味し、そこから何かを迎えるような意味合いだ。何を迎えるのかというと春を迎えるのである。

明治時代までは、八十八夜前後に行われていた。忘れ霜、別れ霜と呼ばれる季節で、種蒔きに最適な時期だった。明治四年以降は、54日~5日に固定された。月山の麓からは雪が消えたが4号目より上はまだ雪で閉ざされていて冬の姿をしている。日出前、各家の持ち回りで代参となった家長(お行さま)が集まり総勢25名前後が月山へ入る。登山道は雪の下で、道がない雪の上を湯殿山へ向けて歩き出す。月山から湯殿山は連続する山であり、先達となった者が状況を判断しながら道なき道を進んでいく。足元の雪からは木の先っぽがぴょんぴょんと出ていた。この頃の月山では、まだ木から新芽も出ておらず、虫もいなかった。頂上小屋は氷でガチガチ、吹雪に打たれカメラが壊れた。頂上を超え湯殿山へ向かう途中、吹雪に見舞われ現在地を見失い、足を負傷する人が出て、遭難救助隊に助けられて湯殿山へ着く前に帰還した。そういう年もあるらしいが、本来であれば、頂上を超えたあとは、麓の集落からは月山に隠れて見えない湯殿山へ入る。そこは雪解けが進んでいるので緑が濃く、古くは、湯殿山の花切り場で、五葉松、石楠花、ビンソウの花を摘み一束にして集落の戸数分、持ち帰ったという。集落から見た時に、天候や季節を見る山として身近な月山は、その時期は雪で閉ざされた生物のいない世界だが、それを超え月山にはあるはずもない花を持ち帰ることで、花が春の象徴となり、集落へも春がやってくるのだ。

こういった、山の力が結晶したものを山苞(ヤマズト)という。古くは、年の暮れになると山人や山姥が土産を持って山から降りてくる。その交易の場を「市庭(イチバ)」と言い、売買に至る前は山人が寝ている好きに土産物を盗んだり、ひったくったりしていた。そうしたものの名残は、祭事のなかでみることができる。寒河江市にある平塩熊野神社で旧暦の小正月に行われる御塞神祭では、クライマックスに宮司が木彫りの男根を放り投げ、それを参加者がもみくちゃになりながら奪い合うというものがある。

だんご木も山苞の一種だろう。その咲くはずもない花が咲いている枝は、人ならざるものの依代となり、来訪神が宿る木としての役割を果たす。枝を採集することを「オロス」、古くは「ハヤス」「ハナス」「ハガス」と言い、これも折口が言うには霊(タマ)の分裂を意味する言葉だった。つまり、山で採集した枝は霊(タマ)の乗り物として山から新しい霊(タマ)を連れてきて家にインストールする役割と担う。その若々しい霊(タマ)の力にあやかり願を懸けるとき、それは人が人ならざるものと交渉することを意味し作法として供物を捧げる。来訪神がやってくるとき、私たちにとって都合の良い神だけでなく都合の悪い神もやってくると考えられていた。それが家に這入るのを防ぐために簎(ヤス)をかけて供物にした。そういった供物の象徴が紙札や最中で作った鯛や米俵などであり、同時に家内安全、五穀豊穣、無病息災といった願いの象徴として機能している。

これまで述べたことをまとめると、だんご木の構造は以下のようになる。

枝=山苞:依代

餅花=春の象徴:新しい霊(タマ)

モナカ・紙札=供物:願いの象徴

新しい年を無事に過ごすために家の中へ新しい霊(タマ)を呼び込む呪具としてのだんご木が見えてきた。依代そのものに装飾を施すことによって、社や祭壇を必要とせず、実にミニマルな形態になっている。だんご木は、古い時代から徐々に形態を変えながら現代まで残ってきた。その骨子となる構造を崩さず、私たちなりに作ってみた。みなさんもぜひ試してほしい。

手引き

吉勝だんご木

◎吉勝札:藍捺染紙型
「花/咲」「鶴/亀」「厄/除」といった縁起担ぎのモチーフを表と裏に絵付しました。胡粉を塗った厚紙に、捺染技法を用いて藍の色を手引きで染め付けています。

◎お飾り最中(ふなせんべい)
原材料 : もち米(国産)

◎最中のモチーフ

・鯛
あ〜、めでたいな、めでたいな!

・平太鼓
打てばどんどん大儲け。

・宝壺.
知恵も薬も湧き出づる。

・蛤
ぴたりと併せてとこしえに。夫婦円満、良縁成就。

・松の実
まてば海路の日和あり。

・山犬
病去ぬ。

・餅花
魂めざめて、花が咲く。五穀豊穣、子孫繁栄。

だんご木の作り方

1:位置をきめる
家の中でだんご木を飾る位置を決め、ミズキの枝を固定します。

2:最中をくっつける
布巾に水を含ませて軽くしぼります。
平皿に布巾を広げ、最中1組の接着面を下にして布巾に置きます。
待つこと30秒~50秒。ほんの少し湿り気を帯びたら、見栄え良い位置の枝、または適当な長さに切った糸を挟んでそっと両側から抑えて20秒数えます。(このとき、糸の端を玉結びし、最中に挟んでおくと落ちにくくなります。)接着部分がきれいに合わさっているように気をつけます。裏表の最中がくっつけば良し。
糸の方は枝に括り付けてバランスを見ながら飾り付けていきます。