「 私たちの仕事について 」
私たちは採集、デザイン、超特殊印刷、この三つの領域をテリトリーとしている。
「デザイン」とは、皆さんが想像されるような平面、立体、空間的なデザインが多い。少し変わったものとして、技術や制作物が成り立つ方程式のようなもの(構造)の設計を行っている。
「超特殊印刷」という言葉は聞きなれないものだと思うが、印刷を構成している印刷機械や、紙やインクをどう扱うかという点が主題になっているので広義の印刷だと思っていただいて構わない。もう少し具体的に言うと、採集物から製造したインクでオフセット印刷をしてみたり、雪を元版として凸版印刷を行ってみたりと、機械や素材に関わらず技術を構成しているものを再考し、実装可能なところまでチューニングしていく。超特殊印刷はプロトタイピングであると同時に実装モデルでもある。
近頃は印刷産業を入り口にして産業の森へ入り込んだ感覚がある。地中で樹の根っこと菌糸がつながり、森全体のネットワークを作っているように、一つの産業だけで成り立つことはできない。いくつかの産業や産業を下支えしている産業(インフラストラクチャー)が縦にも横にも複雑に絡み合って成り立っている。そのおかげで一つの業界に詳しくなると、自ずと関連する他の業界にも詳しくなっていく。こういった言い方をしなくても技術を構成しているものが「人」と「機械」と「素材」という構成であるのはどの産業領域にも当てはまるだろう。私たちがこれまで蓄えた知見を糧に、さまざまな産業へ入っていくのは非常に面白そうである。
「採集」は、キノコや樹皮、花や木の実などを森から採り集めることを指す。基本的に食物を採っているが、道具やインク、元版の原料になるものも採集している。デザインと超特殊印刷は近い領域ということもあり、相互にフィードバックされる関係であるが、この二つの領域が採集に与える影響は少なく、むしろ採集がデザインと超特殊印刷に与える影響は大きい。二つの領域を下支えしているのが採集である。
デザインと超特殊印刷を採集が下支えしているというのは、材料調達という意味で支えているということでもあるが、どちらかというと考え方や視点の部分が大きい。
例えば、キノコを採集したとき、採ったそばからどんどん腐敗へ向かっていく。急いで家へ帰り、鮮度が良いうちに加工することを迫られる。つまり、採集と加工は二つで一つなのである。これは、材料調達と加工が分けがたいものであることを教えてくれる。手近なところで良さそうな素材を見つけることと、その素材から良さそうな形を見つけることは、同じ行為なのである。
採集を観察や研究と考えることもできる。キノコを採集するときは、まず樹を探す。なぜならキノコと樹には相性があり、食べたいキノコと相性の良い樹がある森へ入った方が採集できる可能性が高くなるからだ。そして、尾根沿いには松系が生えやすいとか、高い山にはブナが多いとか、雨が降った日や晴れが続く日などといった地勢や気候を覚えていく。先輩のキノコ採りなんかはGoogleマップで天から山を見て当たりをつけている。つまり、キノコを採るということが、そのままキノコが関わる生態系を学んでいくということになるのだ。
採集が研究であるならば、その後に発生する加工、つまり「制作」も研究であると考えることができる。「制作」は最終的に出来上がるもの(結果)に目がいきがちだが、実際はその過程でさまざまな読解が行われているのだ。(おそらく制作者が専門とする領域によって、読解する角度が異なる)私たちは素人ながら、「制作的研究」が可能なのではないかと考えている。
このあいだ、立て続けにシステムエンジニアとウェブデザイナーと対談する機会に恵まれた。彼らが言うには、私たちが考える「制作」はデジタル的だと言っていた。サーバーを介してインターネット上にシステムを組む。例えば、色や形などのいくつかのファクターをチェックして、言葉を打ち込むとシンボリックなタイプフェイスを生成する仕組みだとする。生成されるものには、ネガティブなもの(何が描いてあるかわからないもの)とポジティブなもの(シンボルとして使えるもの)が含まれる。どれくらい変化に富んだものを生成するか、ネガティブとポジティブのバランスなどといった生成物の範囲を限定していくことが、インターネット空間では可能だというのだ。
なるほど、これを物理世界で行っているのが私たちの制作である。私たちの場合、乱数の調整やネガティブ・ポジティブのグラデーションなどといった微妙な設定はできない。常に全ての可能性が存在したまま制作は進む。この比較は興味深いものになりそうだが、そのぶん長くなりそうなので、ここで切り上げることにする。要は、彼らがいうように私たちは仕組みや製造工程という構造を設計し、そこに何かしらを代入すると、印刷物や図像などといった「結果としての制作物」が立ち上がるような作り方をしている。これは採集に似ている。森で出会うたくさんのキノコの中から良さそうなキノコを採るように、設計した仕組みが生成するものの中から良さそうなものを採るのである。
制作がもつ視点は二つある。一つは言語的な視点、もう一つが非言語的な視点だ。言語的な視点というのは、この原稿のように、目の前のありさまを一つ一つ単語にして並び立てていくことである。ディテールから全体へ向かって理解が促される。非言語的な視点というのは、写真のようにパッと全体を把握することである。色や形、動作、パターン、ボリュームといったものから、目の前のありさまを理解していく仕方である。
鎌倉時代の制作様式にヒントがある。中国の桃源郷を表した作品だ。一枚の色紙には風景を詠んだ詩が書かれ、もう一枚の色紙には同じ風景が絵で描かれている。この二つは対になっており、言葉と絵で桃源郷を表しているのである。
先人たちはすでに限界を感じていたのかもしれない。言葉で表せるものと絵画で表せるもののどちらか一方だけでは、なにか足りない。私たちの眼は二つの眼球があることで、一つの対象物を見たときに少し角度がズレた二つの像として脳へ届ける。そのズレのおかげで風景が立体的に見えるように、言語的な視点と非言語的な視点を往来することで、はじめて物事を立体的に見ることができるかもしれない。
2025年6月6日 / 吉田勝信